アダマの物語

アダマ

幾人かの人々は、私(アダマ)がどのようにして此処に来たかについて、興味をお持ちかもしれません。貴方もそうであれば、このまま続けて読んでください。少々の恐れを持ちつつ、お話ししたいと思います。

これは、未だ続いている物語であり、続いている私の旅でもあり、いずれ本になるかもしれません。 この後に書いてあるのは、カリフォルニア州シャスタ山で、2001年6月21日に私に何が起こったかについてと、その背景の大体の概要です。

それは、実際に起こったというよりは、数ページに渡るSF小説か幻想的な物語のように思えるかもしれません。もし、私が他の文化圏に生まれていたり、様々な人々や経験をしていなかったら、この後に書いてあることは、普通と非常に違った視点で描かれたものであると考えたでしょう。これは、私が貴方と分かちあう、私の”現実”であり、”真実”です。貴方はそれを受け入れることが出来るかもしれませんし、そうでないかもしれません。また、自分のダイアグラムや世界観に当てはめてみるかもしれません。

私は、そのとき現実に結婚していた女性の愛を感じ、その愛は自分の世界で感じることが出来き、持ち続けることが出来る、唯一のものだと感じました。ただ愛だけが現実でした。それは、最も暗い夜、私にバランスと正気を保つ助けをしてくれる案内役のようでした。愛が導き、癒し、支え、非現実的で全くおかしな気分の状態において、現実の焦点を授けてくれたのです。すると、めまい、不思議さ、山の美しさを見つめていること、濡れた足で生きて草を踏みしめて立っていることが、様々な感覚や感情のジグゾーパズルとなりました。その瞬間、私は生を受け、この物質界に生まれ変わったのです。見知らぬ国の見知らぬ人間、見知らぬ肉体、見知らぬ世界、誰かの生涯を通した感覚、感情、経験。。。そう言ったものが、その時、どういうわけか、自分のものになったのです。鏡で自分の顔を見たとき、そこには知らない人の顔が写っていました。自分の手を見てみると、やはりそれは知らない人の手でした。

その夜のその後のことは、ぼんやりしています。”気分が良くない”と言って、いつもの時間より早く床についたことを覚えています。さあ、私はどうすればよいでしょう。待つこと以外になにが出来るでしょう?目が覚めたとき、すべては、友達に話したいくらいの奇妙な夢だったことがわかるかもしれません。夢について、日常生活のあれこれのように話、それがいかに奇妙だったかについて、声を立てて笑うのです。しかし、結局、私は眠りにつきました。そして、私は目覚め、恐ろしく異常な感じがしました。恐ろしく間違ったなにかがありました。そして、私はそれが何かの答えを知っているのだと怖くなりました。

私は朝早く目を覚まし、あの夢は夢じゃなかったのか、この身体は自分のものなのか、ベッドで隣に寝ている女性に何と言うべきか。。。と考えました。話さなくてはならないことを、どのように伝えるのか?信じられない程孤独を感じながら、自分の持ち得る限りのすべての知識とスキルと能力を持って、真実を話すことが、前へ進むための唯一の道であることが私には判っていました。その結果、どうなるかは別として。

そのベッドに横たわっているカップルは、人生を共にしている”聖なる恋人たち”で、人生における使命は、ただただ愛することと、その愛を分かち合うことなのです。あなたの夢に描くような素晴らしい関係が、今ここに実現していることを想像してみてください。日々、ソウルメイトとの愛、つながり、喜び、交友を分かち合う。。。。それが完全にここに実現しているのです。彼らは、初めて会ったとき、お互いの愛が、過去も今も時空を超えたところにあり、遂にこの世界でお互いを見つけ出したのだということが分っていました。

貴方は、出会ったその後に、自分の人生が徹底的に変わってしまうような誰かに遭ったことがありますか?それまでに、築き上げ、生き抜いてきた人生において、ワクワクして恐ろしいような経験。ワクワクして、際限ない将来性に満ちている経験です。予期せぬ”再会”があった時点までに、貴方が築き上げた、安全で予想可能な人生にとっては恐怖です。彼らが出会ったとき、周囲には魔法が満ちていました。多くのありそうにない出来事やハプニングが、二人を特別な時、特別な場所、特別なワークショップへと導いたのです。彼らが出会ったとき、地球は停止し、周囲の人々や出来事は、モノトーンの小さなものに変わり、二人が抱擁し、素晴らしく色鮮やかに溶け合うのと比べると、取るに足らない存在に変わったのです。彼らは出会い、そして、お互いが同じ大陸の反対側に住んでいるため、別れました。結ばれていない糸の端は、また出会う前に結ばれなければなりませんでした。その瞬間、新しく明瞭性が生まれ、長いことのびのびになっていた事柄が誘発されました。愛と宇宙が、二人が再び必ず一緒になるように共謀するまでに何か月も経ちました。トロントの町は、二人がもう一度結びついたことを歓迎してくれました。彼らが一緒に新しい生活を始めるため、カリフォルニアのシャスタ山へ向かう前に、お互いを知るための何か月もの月日が必要でした。

今、私の隣には、私の愛した、思い出の、夢の女性がいます。肉体は隣にあるのに、彼女が愛した男性はもういないと、私が告げなければならない女性が。彼女はわかっ ていました。それが真実だと知りたくなくても、知っていました。ですから、その朝、彼女に「話さなければならないことがある」と告げた時、彼女にはその痛みを伴う真実が分っていたのです。何かを知っていることと、それについてどう感じるかということは、全く別のことです。冷静な心の持ち主はとても堅実で確実で、とてもクリアで整然としていられます。けれど、感情、それは完全に別の性質のものです。私がその朝早く、彼女に”僕は君が知っている人ではない”と告げた時、彼女は”知っているわ”といいました。彼女の痛みやむせび泣く声や涙は未だに私の記憶に残り、この厳しい試練を思い出すとき、今でもぞっとします。

たった14時間前に馴染みのない身体にウォークインした後の、その初めの朝までに、それまでの生涯で私が持っていたものに対して、大きなエネルギーシフトが起こっていました。声はかつてないほど、非常に低くなり、響くようになっていました。眼差しは、柔らかい女性的なものから、もっと鋭い男性的なものに変わりました。聞き慣れている家の中で耳触りだった音に対しても、いつもの反応をしなくなっていました。食生活もすぐ急激に変わり、23年間非常にうるさい菜食主義者だったのが、1日にほぼ1パウンドの赤身の肉を必要とする肉食主義になり、しかもまったく身体に変調はありませんでした。赤身の肉など以前は不快でしかありませんでしたが、キャンディのように素晴らしく美味しく感じました。すべての健康状態や生命力は、虚弱なものから、逞しく、活気の溢れるものに変わりました。尋ねられたことに答える時に、答えに必要な色々な単語をならべるのに時間がかかるため、しばしばタイムラグが生じましたが、ベストの答えを選ぶことが出来ました。前には感じることの出来なかった生命力、パワー、そしてイキイキと生きていることを感じるようになりました。

私、アダマが引き継いだ、この肉体の前の居住者は、直感的に何か大きな事が起きつつあることを知っていました。彼は、なにかとても大きな魂の変容を経験するか、死ぬだろうと感じていました。おそらく、自動車事故か心臓マヒが、彼の当時の限界を引き上げるようなシフトや、深遠な並はずれた霊的経験となるだろうと考えていました。私の出現は、彼やその周囲にとって、まったく予期せぬものでした。前の居住者は、すべてにおいて極端に繊細で、この世界で生きていくことは大きなチャレンジでした。彼は、”ニューエイジ”としばしば呼ばれるムーヴメントに関係のある、秘伝のエネルギーワークと実践の教師でした。私のウォーク・イン以前の6カ月間、彼は周りの騒音や化学物質に対して非常に繊細になっており、またこの世界—彼がしばしば翻弄される—は, なんと厳しい場所なのであろうと感じていました。この頃、彼は内にこもり、喪失感に苛まれ、人生から切り離されてしまったと感じていたのです。彼は非常にエーテル的で、微妙なエネルギーに対してとても敏感でした。文明から、そしてすべてのストレスから遠く離れて、原野で生きていくという考えが、頻繁に彼の心を去来しました。ということで、仕舞には、もっと自分との不一致やチャンレジの少ないところに移るために、彼は進んでこの世を離れたのです。

私、アダマは生き生きと生活しており、恐れを知らず、とても物質的で、すべてのことに興味を持ち、記憶の中で前にしたことがないようなことを経験することに関心がありました。私は、一番近くにいた人々から、愛と自分に対する容認とサポートを得ることができて幸運でした。この愛とサポートなしでは、今私がいる、この人生—社会的人間関係の複雑さや殆どの人にとっては何の支障も無く、当然だと思われている、単純な日常生活の複雑さ–に、自分自身を整合させるのに、極めて骨が折れたと思います。

この世の殆どの人々が(赤ちゃんとして)ハイハイで歩み始める代わりに、私はウォーク・インという機会を得ました。私は、これからの旅路をサポートするのに必要な、豊かな経験を記憶に持つ、成熟した肉体にウォーク・インしました。これは、上等だけれど、既に何マイルも走っている中古車を手に入れたことになぞらえることが出来ます。走りはいいが、傷やへこみがあって、自分に合った走りをするには、少々修理が必要です。また、私は、地球の生活に推移するのに、愛情深いサポートを沢山得られる環境に入り込みました。非常に伝統的な信条と保守的な家族や友人に育まれた肉体に降り立つことを考えると、激しく身震いします。彼らは、私を優しく精神病院に送ったでしょう。

私の物語は続き、そこには、あたかも人生を何回も生きてきたか如く、ドラマ、トラウマ、極端なアップアンドダウン、愛と絶望、多角的なシフトがあります。地球で生き延びるための—-私の知る限り、私は以前に一度も”人間”として生まれていません—準備に非常に役に立った”生涯”についての詳細を話すことは可能です。鯨の意識を人間の身体に植え付け、それが地上で、人体と人間界で、機能すると期待することを考えてみて下さい。自分のエネルギー、強さ、そしてパワーに対応するように出来ていない身体に、自分が押し込められることを考えてみて下さい。非常に強いパワフルな男性的なエネルギーを、46年以上かけて培われた、もっと受け身で女性的な精神的・感情的・霊的な枠組みの中に、即座に組み込ませることを考えてみて下さい。自分の望むものを、殆ど瞬時に実現させることが可能な状態から、希望と実現の間の時間差がとても大きな世界に、特にその世界のルールというものを知らないで、行くことを想像してみてください。あなたがパワーと意志が基礎となった宇宙で機能することに慣れていて、突然、すべての基礎は愛である世界に生き、機能しなければならなくなり、その世界で創造したり、繁栄をするための方法が、唯一、その枠組みの中から機能することであるということを想像してみてください。これは、正反対のものが、私自身の中の正反対のものとして溶け合い、混ざり合い、平衡点を見つけるために競っているという、通常からかけ離れたラブストーリーなのです。私はトロントから来た女性を見つめました。その人の愛が、数か月後に、ウォーク・インのプロセスと似た過程を(10日間に渡る期間を除いて)耐えながら、私がここに存在する手助けをしてくれました。

まだまた、もっとお話ししたいことは沢山ありますが、この章はここで終わりとします。

私は、進化し続け、成長し続けます。今、かつてないほど、より賢く、愛情深く、人間らしいのです。

光、愛そして奉仕と共に。

アダマ